綾瀬川の起点碑は、埼玉県荒川左岸北部流域下水道「元荒川処理センター」の西側道路上に置かれ、伊奈町、蓮田市との境に近く、所在地は桶川市小針領家となります。起点碑は、雑草に覆われていて、夏場は見つけ出すことがかなり困難です。起点碑の前は歩道のない道路で‥、大型トラックや乗用車が、すごいスピードでせまってくるので、歩行者が起点碑を探し回るに身の危険を感じる場所‥です。赤堀川との境の土手上に道路を作ったようですね。

後で知ることになりますが‥、この赤堀川との境の道路が載っかってる土手、それ自体が「備前堤(びぜんてい)」でした(^^)。

この土手、”備前堤”ができるまでは「綾瀬川が荒川!」だったのです。ホントですか?と言いたくなりますが、徳川家康が関東に入る前、1590年ころまで荒川はこの地点で分流し、主に綾瀬川筋を流下していたようです。その後、伊奈備前守忠次がこの備前堤を設けた(綾瀬川への流路を断ち切った)ことで、荒川は元荒川筋を流下するようになったということです。

そして1629年、さらに上流の熊谷で元荒川が締め切られたために、荒川は現在の入間川筋の流路となった経緯があるようです。

道を挟んだ向かい側からの起点碑を撮影。どうです?どこに起点碑があるか分かりますか?

起点碑を裏サイドから撮影。手前に見えるのが綾瀬川です。綾瀬川は、この左手の道路を潜り抜け、上越新幹線方面へと続きがありましたが、今ではこのあたりの田んぼの排水が源流となっているようです。

その綾瀬川は、元荒川処理センターの周囲に沿って下流へと流れていました。

起点碑の最寄り駅は、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)「内宿駅(うちじゅくえき)」(約2km)です。起点碑からすぐそばに見える上越新幹線に沿って南東に進めば、ほどなく駅が見えてきます。

さてさて・・・令和2年9月・・・。

「御定杭(ごじょうぐい)」を捜すため‥再び、内宿駅に行きました。さて、どこにあるのか?。実際、見に行こうとすると手がかりは多くありませんね。まずは、綾瀬川起点碑のあたりから、備前堤(びぜんてい)を歩きながら探してみますが‥大型トラックや暴走車がバンバン来ますから‥けっこう恐怖です。

そんな中、もうすぐ咲きそうな彼岸花がホッとさせてくれます。

ウロウロしながら、桶川環境センター前の橋の周辺を入念に探してみます。

それらしきものが・・ありました!が、ご供養のための塔のようで「御定杭」との表示はないです。

この先の元荒川の方まで歩きたいのですが、夏草が生い茂っていて、とても歩けるような状態ではありません。

今日はあきらめて帰ろうと起点碑のところまできて、赤堀川のほうに目をやると、草むらに何やら石碑らしきものを見つけました。よくよく見ると、「御定‥」との文字があります。コリだ!ついに発見しました。周囲の雑草を踏みならして石碑を読むと、「御定杭」とありました。やっとこ発見。

大雨が降ると、備前堤の下流の人たちは、綾瀬川の氾濫を防ぎたいので高く土嚢など積み上げたい、上流の人たちは下流に排水しなければ自分たちの田畑が浸水してしまう‥、本当に難しい問題だったと思います。御定杭はこれより上には土嚢などを積み上げててはならぬ!というお上のお達しでした。