就業規則には「入社時の提出書類」がたくさん書かれていますが、その多くは会社の制度上のものや社会保険や雇用保険の手続きに必要なものなどからなります。その入社時提出書類に「身元保証書」があることは少なくありません。折にふれ目にする身元保証書ですが、文面を読んでみるとその文言は旧態然としているものが多いと感じます。さて、このような入社時の身元保証制度はいつごろから始まったものなのでしょうか?以下にまとめてみました。

まず、明治時代前について‥

  • 今日の身元保証の前身は、徳川時代の「人請(ひとうけ)」である。
  • 「人請」は、奉公人が奉公する際に第三者がその身元を保証する制度。「奉公」とは封建制度における臣下がその主君に対し一身を捧げて忠勤奉仕することをいい、「奉公人」は封建君主に対する臣下を意味していたが、徳川の世では、雇用契約上の‥今でいう従業員を指して「奉公人」と呼び、この従業員が働くことを「奉公」と言っていた。
  • 武家奉公人の足軽(あしがる)、中間(ちゅうげん)、若党(わかとう)、小者(こもの)や、庶民の家で使用されていた下男(げなん)、下女(げじょ)、乳母(うば)、番頭(ばんとう)、手代(てだい)、丁稚(でっち)、弟子(でし)、作男(さくおとこ)などは、同じように「奉公人」と呼ばれていた。
  • 幕府は、奉公契約には必ず請人を立てなければならないと強要していて、請人なき奉公人を雇い入れた雇い主に対して一定のペナルティを課していた。
  • 徳川幕府は、治安の維持に努力する中で、特に無宿、浪人などの取り締まりに力を入れていて、奉公契約における請状は幕府が人民取り締まりのために施行した警察的法制の一種でもあった。
  • 人請責任の内容は、「奉公人が逃亡したり、主人の金銭を無断で使ったりしたときは、請人は前渡給金を弁償し、一定期間内に逃亡奉公人を捜し出して主人に引き渡し、且つこれらによって生じた損害を賠償しなければならない」ことになっていた。

日ごろ、耳にしたことのない江戸時代の「人請(ひとうけ)」ですが、これが現代の身元保証の原点なんですね。今の言い方をすれば、「江戸時代には法律によって、会社は入社してくる人に身元保証人を立てさせ、且つ身元保証書をとらなければならない」とされていた、ということです。

次に、明治時代について‥

維新直後、国内の人心が動揺している時期、政府は治安維持を念頭に無籍者やホームレスの取り締まりに力を注ぎ、奉公人の雇い入れに関して次のような法的制限を加えていた。

  1. 奉公人を雇入れる際は、その身元を慎重に調査しなければならないこと、並びに、請人を立て且つ請状をとり置かなければならないこと、を命じた。
  2. 他国者又はよそ者が奉公する場合は、原住地の町村役人より「稼切手」を受けこれを所持すること、が必要だった。
  3. 奉公人を雇い入れたときは、雇用地の町村役人へ届け出なければならなかった。
  4. 雇人の周旋を行っている請人請宿は、特に被周旋人たる雇人の身元、素性に厳重な注意を払うべきこと、並びに徳川法制と同様に「下請人」をとり置かなければならないこと、を命じていた。

明治維新後、年を経るとともに人々の居住、職業などの自由をできる限り拡大することが求められ、雇用関係に徳川法制のような制限は不合理とされるようになり、また、警察組織の整備充実と共にホームレス等の取り締まりに身元保証を利用する必要がなくなっていった。こうして、奉公人の雇入れに際して身元証明書、身元保証人をとるべきことを強制する法規は廃止されていき、身元保証契約は、自由な私法上の契約として残存することになっていった。

明治時代も初めのころは江戸時代と同様に、治安を維持するために国が雇い主に身元保証をとることを強制していましたが、時代と共に徐々に規制がなくなっていったわけです。

以上のような流れが、現在行われている入社時の「身元保証書」の始まりですから、今の身元保証書のひな形や、各社の身元保証書の実物を見ても、なんとなく封建的な雰囲気を感じてしまうは、この由来が影響しているからでしょうね。

 

※枠で囲まれた箇所は、「身元保証の研究」西村信雄 著(有斐閣・S41.7.20)の内容を元に、簡略化して箇条書きにしたものです。